今日は解離性健忘症と勉強についての記事を書きます。
何を隠そう、私が高校の時から今までずっと解離性健忘症です。
解離性健忘症は、解離性障害の症状のうちの一つです。
解離性障害は簡単に言うと、自分の中に別の人格があって、ストレスを感じる状況になると、別の人格に切り替わってやりすごす精神的な病のことです。
精神的な病とも言いますが、その本質は私たちの心の防衛手段のうちの一つともいえます。
人格が切り替わると起こる症状のうちの一つが解離性健忘症です。
この症状は人格が切り替わっている間の記憶が抜け落ちます。
別人格が動いている間の記憶を、元の人格は一切覚えていません。
よくできた人体の不思議な仕組みですね。
さて、私は高校に入学してしばらくしたあたりから、解離性障害を発症しました。
きっかけは蓄積された中学時代の過剰なストレスと、高校が思ったのと違うこと、勉強面ででした。
そうです。学生生活ほぼ全部です。(笑)
中学時代はとにかく人間関係が上手くいきませんでした。
それをモチベーションにして、私は高校受験を頑張りました。
ですが高校受験のストレスは絶大で、毎日涙が止まりませんでした。
そうして苦労して私は行きたかった高校に入りました。
私がその高校に入った目的は研究でしたが、私の時代はコロナの時代ということもあり、研究活動がほとんどできませんでした。
それに勉強面が難しくなり、私の学校はそれなりに進学校だったので
生徒の間で勉強の出来を競うことが多かったのです。
私はこの環境がものすごく負担でした。
そうして入学して少し過ぎたあたりから、私は解離性障害になりました。
本題です。解離性健忘症が勉強に起こるとどうなるのでしょう。
私は勉強もストレスの一部だったので、しっかり健忘症の対象内でした。(笑)
簡単に言うと、勉強時間にかかわらず成績が半分になります。
ちなみに私は中学校の時、1日30分の勉強で偏差値がつねに70を超えていました。
毎日苦痛で泣いていた割に、そこまで勉強していたわけではなかったのです。
それが高校になるどうでしょう。
起きている時間はすべて勉強に費やしていました。
周囲からは「寿命を削っている」と言われるほどです。
それでも現役の時はどれだけ頑張っても、偏差値が全教科40後半から伸びませんでした。
1年浪人しても、偏差値を全教科60前半まで上げるのにやっとです。
浪人時代の勉強時間は1日10時間ほどです。
見ていただけたら分かるように、解離性健忘症が起こってしまうと別人格が勉強をしているわけですから、何時間勉強しようと元の人格には記憶が残りません。
現に私も浪人していた時、勉強記録をつけていましたが
記録は残っていても、自分の頭のほうには一切記憶が残っていないことが多々ありました。
それが解離性健忘症の恐ろしさです。
私が解離性健忘症だと診断されたのはここ最近の出来事です。
解離性障害は人格が変わる病気ですが、私の場合は主に勉強してるときに
人格が切り替わるので、別人格になっているという実感が湧きにくいのです。
いかがでしょうか。これを見て「私も解離性健忘症があるかも?」と思ったら
1度病院に行ってみてください。
何かの分野に対して極端に忘れっぽいと、解離性健忘症の疑いがあります。
解離性健忘症を持ちながら勉強するには、ストレスを感じずに勉強するのが1番です。
ですが私もまだストレスを感じないで勉強するすべを編み出したわけではないので、
何か思いついたらまた共有します!